これは長年感じていることですが、SNSの現代から、遡れば約20年前のmixi時代まで続く注目すべき現象があります。
ライブやイベントの告知をするアーティストに対して、ファンの人が「行きたいけど今回は行けない」とコメントすることがあります。
それに対して「いちいちそんな報告なんてしなくていい」と腹を立てるアーティストやイベンターが案外いて、それに同意的な意見も多いように感じました。
それは本当のファンが、真に善意な気持ちで言ったのかもしれず、そうでないにしてもファンのリアクションを引き出している時点で「リーチが掛かっている」と言えるからです。
最初から行く気がないならそもそも反応すらしないはずです。
「行こうか行くまいか迷った挙句、行かないことを報告してくれるユーザーを引き寄せるにはどうしたらいいか」を考えるのが主催側、出演する側の責務であると考えます。
「結果的に行かないのならファンとは言えない」と切り捨てるのは、エンターテインメントの世界では、自ら活動の可能性を狭めることに等しいと言えます。
社会においても、あと一歩のところで商談が流れ、悔しい思いをした営業マンは枚挙に暇がないでしょう。
それは競合他社の商品に比べて値段が高かったり、性能が劣っていたりで、自分一人ではどうすることも出来ない理由もあるでしょうが、その結果を踏まえ、分析し、次回の営業に生かしていくはずです。
「今契約をしてくれなかった相手はもう客でもないし、金輪際付き合うこともないのか」
もちろん、そんなはずはありません。
余談ですが、私の母は40年以上接客の仕事をするベテランですが、馴染みになったお客さんのために、自分のプライベートの時間を削ってまで自筆の手紙を書いてたそうです。
時間給なので直接的な給料にもならず、また確実な売上に繋がるとも限らないその行動は、彼女にとっての人生の一部であり、ごく当たり前のことであったといいます。
私自身、サラリーマン時代は営業職の経験は多くありませんでしたが、エンターテインメント業界において、ファンとの継続的な関係構築を軽視する姿勢は、自らの活動の未来を閉ざすものだと強く感じています。